「あるもの暮らし」は、まずは見ることからいつも始まっています。
ないものねだりばかり、隣の芝生がとにかく青かった世界から今目の前にあるもののひとつひとつに視点をうつし、意識を向けることで毎日幸せを感じる世界になりました。
お酒ものんでいないのに歌ったり踊ったりしています……
「今あるもの」を見るってどういうこと?と思ったら読んでみてください。
ないものばかりが目に入っていた頃
数年前まで、なぜかやたらとスーパーに行ってしまうことがよくありました。冷蔵庫も冷凍庫もすでにいっぱいだと分かっていても帰宅途中で寄らずにいられなかったのです。
自分に足りない何かを冷蔵庫に詰め込むことで補おうとしていたのかもしれません。
ネガティブ感情のオンパレードって感じですね
日本に生まれただけですでに恵まれている?
これを言われると理解はできるのですが「そんなこと言われても」感がいつもどこかでありました。
恵まれていると言われても今の目の前の現実はそう言えるほど自分を満たしてくれていないと現実味がなかったからです。
ですが、一度この事実が見えるようになると「今あるもの」を見つけるのもとても簡単になっていきました。
日本が恵まれているというのはお金だけではなく他にもいろいろあります。
夕食の選択肢があり、中学まではほぼ全員が行くことができ、また年収370万円以上の人は世界でも上位1%とも言われています(Gigazine「年間370万円稼ぐ人は世界のトップ1%に入るほど恵まれているとの指摘」)。
年収370万円もないよと思っても世界のトップクラスの環境で暮らしていることに間違いはなさそうです。
残りの90%以上の環境に生まれる可能性の方が断然高いのですね
「今あるもの」とは
「今あるもの」とは、私の場合こんなもので無数にあります。
- 衛生的なトイレを使える
- 3食食べられる
- 目的地まで連れて行ってくれる電車に乗れる
- 天気予報
- 友達がいる
- 安心して眠れる安全な部屋がある
- きれいな空がある などなど…
令和6年能登半島地震がおきて今日で1ヶ月となりました。
同じ日本という国にいても、上記のようなとりとめもないことは実際被災された方にとって今喉から手が出るほど必要なものかもしれません。
「今あるもの」はそれほど「ある」ことが奇跡のようであり当たり前ではないと改めて思います。
1日3つから始めた感謝日記は
今では毎晩書ききれないほどになりました
「今あるもの」を見て起こる変化
「今あるもの」は一つ見えると芋づる式に見えるもの、あるものが広がって行きました。
私はこういうものは一部の特別な人たちだけが感じることができるものだと思っていたし、ポジティブマインドやらを言われると鼻で笑ったり、そのテンションに「落ち着けよ」と内心悪態をつくタイプでした。
このほかにも「今あるもの」が見えると、このブログで紹介しているような「使えるもの」も見えるようになり、そこから活用して何かを「創る」ということも楽しんでできるようになりました。
本当はものづくりが好きなのに、以前は「お金がないから」「節約した方がいいから」でやっていましたね…
「今あるもの」から「あれもやろう」「これもやろう」と毎日いろいろ思いついては忙しいですが、1日が終わる時は今日もいい一日だったなで眠っています。
そして朝よくわからないけどワクワク感で起き、今日は何をしようかとソワソワしつつ小躍りしながらお手洗いへ行くこともあります…
「足るを知る」だけではない
「あるもので暮らす」といわれると、昔から「足るを知る」美徳を語られがちです。
ただ「今あるもの」を意識して慎ましく質素に暮らすのもいいのですが、それだとみんな同じライフスタイルになってしまい、私が私で生まれた意味ってないよなぁと思います。
みんなそれぞれ夢や願望はもち、できるだけ好きなことやワクワクすることをやって、「今あるもの」に感謝したり誰かを助けたりしながら、一生懸命楽しく生き切ることが大事だと思うようになりました。
もちろん、今でもムッとすることやうまくいかないこともありますが、「今あるもの」を見るところまでいつもかえることができると不快な感情は長続きしません。
「今あるもの」のその奇跡がいつも自分のまわりに溢れていると感じながら生きて行きたいですね。